一般（高校生以上）の部【最優秀賞】雪虫／大西 昭彦

受賞作品を、原文のまま掲載します。
編集の都合上、すべて横書きにしています。
注：敬省略

雪虫／大西 昭彦

潮騒ではなかった
老女が眠るように話している
海ぞいの鄙びた宿
板廊下がずんずん続いて奥は暗く
柱は黒々おさまっていた
りんどうの花が凛として
もう冬も近い
      あどひと月もしたきゃ
      雪っこ屋根まで積もってまって
      こうすて雪掻きばすらんだ
      重ぇのなんの腰痛ぐなるじゃ
老女は櫓でもこぐように
小さなからだを伸ばしたり縮めたり
藍色の闇に海が暮れていく
沖をゆく船の小さな灯りもあった
気づけば灯りがもうひとつあらわれ
じりじり距離を縮めていく
あの海で死んでいった男たちもいる
そう話してくれた女たちもいた
やがてふたつが重なり
ゆっくりとまた離れていく
人はだれも海峡をゆく灯火なのだ
孤独で寂しい鬼火なのだ
      わらはんどが赤ぇ帯すめてな
      むがしは雪んなが遊んであった
      おめ   どごからぎだんだが
      ほぇ   ひどりで旅すてらのだが
その声で我に返ったものの
どこに帰ってきたのかもわからない
子守歌でも聞いていたのか
老女が眠るように笑っている
どこかで赤ん坊の泣き声がする
あぁりんごか
曇天で見たあの仄かな赤みが
つやつやした幼い頬に重なる
すでに海は藍を失い
小さな灯りはもう雪虫のよう