一般の部【優秀賞】夫婦茶碗/丹野 幸子
更新日:2023年2月10日
受賞作品を、原文のまま掲載します。
編集の都合上、すべて横書きにしています。
注:敬称略
夫婦茶碗/丹野 幸子
娘の友人が焼いた土の器
白い釉薬のかかった粉引きの夫婦茶碗
ふっくらとあたたかく手に収まる小さいほうは食事制限されているあなたのごはん茶碗 おおぶりでお抹茶も点てられるほうはわたしの茶碗
結婚四十五年を二人で迎えられたあかしのお祝いの贈り物
脳梗塞で右手の指にマヒが残ったあなたは毎日洗いもの係を引き受けた
茶碗は水の中でリハビリをするあなたの手から何度か滑って桶の中で踊った そして小さく欠けて傷ついた
壊れたらまた焼いてもらうから
「気にしないで」と娘はむしろ洗いものをする父を褒めた
あの人が逝って花橘の花びらのようなふっくら優しい土のついの茶碗が残った
茶碗に遺したあの人の仕事
茶碗に遺した手の感覚
茶碗に遺ったふたりの暮らし
茶碗に遺ったあの人の後ろ姿
茶碗の欠け傷を見ると分かる
毎日洗いながら何を考えていたのか
清々しい目の先にあるもの
邪心のないこころ
欠け傷をさすると分かる
今はもう
あなたは悲しみを走り抜けたのだと
なごりの傷は
深々と痛みを包み安らかに白灰色に溶け込んで 時を経てはじめからあったもののように静かに残った
あなたとわたしの夫婦茶碗