民衆詩派の詩人 白鳥省吾(しろとり せいご)
更新日:2018年7月7日
白鳥省吾(しろとり せいご)
1890年(明治23年)2月27日に築館村(現在の栗原市築館)に生まれる。大正初期の日本詩壇を代表する民衆詩派の詩人。70冊を超える詩集、随筆集、訳詩集、童話集などを著し、県外も含めて100校以上の小中学校の校歌を作詞しています。また、アメリカの詩人ワルト・ホイットマンの詩の訳詩を手掛けたことでも有名です。1973年(昭和48年)8月27日、83歳で静かに生涯を終えました。
年譜
年代 | 年齢 | 事項 |
---|---|---|
1890年 (明治23年) |
0歳 | 2月27日宮城県栗原郡築館村字町屋敷47番地に、父林作、母きねよの次男として生まれる。 |
1907年 (明治40年) |
17歳 | 宮城県立築館中学校(築館高等学校)卒業。 |
1913年 (大正2年) |
23歳 | 早稲田大学大学部文学科英文学科卒業。 |
1914年 (大正3年) |
24歳 | 第1詩集『世界の一人』を自費出版。 |
1918年 (大正7年) |
28歳 | ホイットマンの研究論文・訳詩を発表。 |
1919年 (大正8年) |
29歳 | 『民衆』第11号に白鳥省吾詩集掲載。 詩話会委員に選ばれる。 詩集『大地の愛』出版。 |
1920年 (大正9年) |
30歳 | 宮城県遠田郡涌谷町、長谷孝治郎三女・秀子と結婚。 ジャーナリストから詩壇の中心人物とされる。 雑誌等に作品を多数発表。新潮社『日本詩人』が創刊し編集者となる。 |
1922年 (大正11年) |
32歳 | 北原白秋と文学論争をする。 |
1926年 (大正15年) |
36歳 | 「大地社」を創設し、詩誌『地上楽園』や詩集等の出版を始める。 |
1928年 (昭和3年) |
38歳 | 詩人協会を結成。 |
1934年 (昭和9年) |
44歳 | 秀子夫人37歳で死去。 |
1936年 (昭和11年) |
46歳 | 千葉県長生郡東浪見村(現一宮町)星野舜栄次女・喜代と結婚。 |
1939年 (昭和14年) |
49歳 | 大日本婦人連合会発行の月刊誌『女学生新聞』編集長となる。 |
1947年 (昭和22年) |
57歳 | 昭和天皇東北御巡幸の際、築館町薬師山において御進講する。 |
1961年 (昭和36年) |
71歳 | 日本農民文学会会長となる。 |
1962年 (昭和37年) |
72歳 | 日本歌謡芸術協会会長となる。 日本民謡協会より文化章受賞。 |
1963年 (昭和38年) |
73歳 | 千葉県より文化功労者として表彰される。 |
1965年 (昭和40年) |
75歳 | 築館町名誉町民となる。 栗原郡名誉郡民となる。 日本詩人連盟会長となる。 |
1968年 (昭和43年) |
78歳 | 勲四等瑞宝章授与される。 |
1971年 (昭和46年) |
81歳 | 喜代夫人とアメリカ巡遊、ホイットマンの詩蹟を訪ねる。 |
1973年 (昭和48年) |
83歳 | 8月27日食道がんにより逝去。 昭和天皇より銀杯下賜される。 多摩霊園墓地に眠る。 |
もっと詳しい白鳥省吾の情報
「白鳥省吾を研究会する会」のウェブサイトをご覧ください。
- 白鳥省吾を研究する会(外部サイトにリンクします)