一般の部【優秀賞】あかい実の成るころ/久保田 智子
更新日:2022年1月31日
受賞作品を、原文のまま掲載します。
編集の都合上、すべて横書きにしています。
注:敬称略
あかい実の成るころ/久保田 智子
バス停の横の
大きな 楊梅の木
毎年 怠りなく鈴成りの実をつけ
わずかな期間 落ちた実で
あかく くろく 舗道を染める
ある年の 晴れた日
雨傘を手にした青年が
楊梅の木の下で 傘を開いた
ひょいと傘を 逆さに持ち替えて
傘の柄で 楊梅の枝を突つき
落ちてくる実を そのまま傘で受けていた
そうか この手があったかと感心したのに
まだ一度も 真似てはいない
三十年ほども前のこと
森で出会った 足の達者な老女に
楊梅の木を その実の食べ方を教わった
掌に あかい実をのせ「むかし」と言った
むかし どの村も 楊梅の木が全部が全部
恐ろしいほど 実が成った
あかい あかぐろい実が 恐ろしいほどに
昭和二十年のこと
終戦の年は そんな年でもあったと
小さな実を 掌に転がして
この実が怖いなんて おかしいでしょう?
ひそりと笑った あの老女と
老女との ひとときを
楊梅の実のころ 決まって思い出す
バス停の横の 楊梅の木は
三年前に 枝を大きく伐られ
翌年は 実を成さなかった
今年 根元から伐られた 楊梅の木
瑞々しく 痛々しい 切り株に
白いベビーシューズの片方が
ちょこんと のっていたことを
楊梅の実が成るころ 思い出すのだろうか