2ページ  国道398号を北西に進むと、湖と山並みが広がる雄大な景色が、訪れた人を出迎えてくれます。  今回は、豊かな自然に囲まれた花山地区の魅力を紹介していきます。 【特集】花山いいとこ巡り 花山ってどんなところ?  花山地区は、市の北西部、秋田県との県境に位置します。国有林が面積の大半を占め、人口は令和4年3月末時点で915人。旧栗原郡では、郡内唯一の村でした。  特産物は、自然薯(じねんじょ)やイワナ、ソバ、シイタケなどのキノコ類が名物で、それらを取り扱う産地直売所や飲食店があります。  自然豊かな花山には、多くの動植物が生息しています。特に代表的なのが、「花山」の由来という説もあるアズマシャクナゲです。花山地区は、アズマシャクナゲの自生北限地帯で、その学術的価値から、1961(昭和36)年に国の天然記念物に指定されています。 生活を守る花山湖  花山を象徴するものの一つが、町の中心にある花山湖です。ここは、自然にできたものではなく、花山ダム建設によってできた人工湖です。周囲は11キロメートルあります。  花山ダム建設計画は、1947(昭和22)年のカスリーン台風による水害などを受け、迫川の水量調整や下流穀倉地帯のかんがい用水確保のため、宮城県が進めたものです。  民家や農地、役場、学校などが位置する村の中心部がダム湖の範囲ということで、当時の花山村民からは反対の声が多く挙がりました。  旧花山村と宮城県は、幾度も交渉を重ね、迫川下流地域の人命と財産を守るためにと、1955(昭和30)年6月、交渉が妥結(だけつ)。1958(昭和33)年1月31日、花山ダムは竣工(しゅんこう)しました。  花山ダムの総貯水容量は3660万立方メートルで、東京ドーム約29杯分に相当します。その貯水能力は、竣工当時には日本一ともいわれていました。花山湖とダムは、水害を防ぎ、農作物を育む豊かな水をもたらすことで、私たちの生活を守っています。 写真 ▲5月下旬から見頃を迎えるアズマシャクナゲ 3ページ 【特集】花山いいとこ巡り 歴史を刻む寒湯番所(ぬるゆばんしょ)  花山湖を抜け、秋田県へ向かって山間を進んでいくと、大きくて立派な門が見えてきます。約400年以上前から、この地で花山と秋田を往来する人々を見守ってきた、仙台藩花山村寒湯番所跡です。  寒湯番所は、奥羽山脈方面12カ所の番所の一つで、秋田藩雄勝郡に通じる花山越えの秋田口の関所でした。このように、他藩との境に設けられた関所を境目番所と称し、かつては「仙台藩仙北御境目(おさかいめ)寒湯番所」と呼ばれていました。  境目番所となったのは、伊達政宗(だてまさむね)公が岩出山入りした後の慶長年代からで、以来、200年余りの間、仙台藩と秋田藩を往来する人と荷物の検問を行っていました。  屋根がかやぶきの表門は、くぎを使わず、くさび止めした総ケヤキ造りとなっています。現在は、国道が番所跡敷地の外を通っていますが、藩政時代は街道を遮って、表門を構えていました。正面には検断所があり、関所守が常駐して関所手形を検査していました。  その奥には、桁行23.19メートル、梁(はり)行11.86メートルの大規模な二階建役宅があります。この役宅は、関所守の居宅でした。  寒湯番所の規模には変遷があり、現存する表門と役宅は、それぞれ1855(安政2)年と1857(安政4)年の建造といわれています。検断所は、現在建物が無く、基壇(きだん)のみ残っています。 花山と生きる寒湯番所  藩政が終わり、役宅は大正時代の末頃には無人となりました。その後、発電所工事や製材所設置工事、炭焼きの作業員が宿泊所として利用していましたが、長い年月雨風にさらされたことで、壁や床は朽ちて土台は傾き、野生動物がすみ付くほどになりました。  そこで、旧花山村では、寒湯番所跡の保護に努めました。関所遺構として残存するのは、全国的にも極めて貴重と認められ、1956(昭和31)年9月に県の指定文化財、1963(昭和38)年9月には、国の史跡になりました。  寒湯番所跡は、その周辺と県境付近にある温泉を訪れる観光客が立ち寄ったり、道路標識に番所跡を模したイラストが使われるなど、花山を代表する名所となっています。 参考資料:花山村「花山村史 増補版」 宮城県ウェブサイト 文化庁「文化遺産オンライン」