6ページ 【特集】栗原愛 〜そこに愛はありますか〜  気仙沼から移住してきた小野寺さん夫妻。民泊新法施行後、県内で認定第1号となる民泊を昨年6月に開始しました。なぜこの地で民泊を始めたのか、なぜ二人はここ栗原を選んだのか聞いてみました。 栗原で今を生きる 小野寺 德茂(おのでら のりしげ)さん・惠子(けいこ)さん(若柳内谷川)  ここに暮らす前、私たちは気仙沼市で暮らしていました。東日本大震災では、住んでいた家を津波で流され、被災後一年間は気仙沼の知人宅に間借りしていました。高齢の親がいたこともあり、あちらこちらの物件を探し回った結果、懐かしい納屋と庭、そして家の前に畑があった栗原を選びました。私たちは、それだけで満足していましたが、住み始めてからは、夜空に輝く満天の星、季節のうつろいに合わせて咲き乱れる草花、Ⅴ の字を描いて飛ぶ渡り鳥など、栗原の自然の素晴らしさに魅了されました。また、この地に暮らす人々の心の広さと優しさにも触れました。  自然災害が多発する今、このように恵まれた私たちに何ができるのかを考えた時、大震災での体験を基に「命の大切さ」について語り合いたいという思いから、民泊を始めました。また、宿泊者が、それぞれ感じた栗原の良さを、訪れた先々や戻った地に広め、より多くの人にここ栗原を知ってもらいたいという思いが芽生えました。  今できないことや無いことをとやかく言っても仕方ありません。目の前にあるものを生かし、今できることに思いっきり取り組んで、楽しんでいければ、最高の人生ではないでしょうか。肩肘を張らずに暮らせる、ありのままの栗原で安らいでもらい、その良さを感じてもらえればうれしく感じます。  私たちは、第二の人生を豊かに生きるための種を、栗原でまきました。生まれも育ちも違う者たちが集い、人と人がつながる種。知恵が深まる種です。やがて、その種が芽を出し、成長するまでの過程や収穫の時を、移住仲間や栗原で知り合った仲間とともに楽しみたいと思います。一人でも多くの人が栗原を住みよい地であると感じ、それぞれの心を満たしてくれる甘い果実となることを願っています。 7ページ  自宅の一角を利用し、自身がやってみたかった手づくり焼き菓子店と料理教室を栗原で営む人がいます。根底にある、手から育むおいしい幸せを、多くの人と共有できたらという思いはどこから湧いてくるのか聞いてみました。 自然の中で自然に暮らす 髙橋 幸代(たかはし ゆきよ)さん(一迫荒町)  一迫地区に生まれ育った私は、幼稚園の頃から、洋画家の菊地義彦(きくち よしひこ)先生のお絵かき教室に通っていました。毎週土曜日の半日、集中して目の前の自然と向き合い焼き付けてきたことで、今も子どものころの景色や草花が色鮮やかに脳裏に浮かんできます。また、私は子どもの頃、栗駒山中腹の世界谷地原生花園で、朝食を食べるため早起きして、家族で手づくり弁当を持って出掛けたことがあります。今思えば、そのためだけに世界谷地に行くなんて考えられないことですが、なんて、贅沢な時間だったのだろうと、あの頃の母と同年代になり実感しています。  今の時代、栗原にしかないものを探すのは難しいかもしれませんが、ある時、出会った人に「栗原市には、誰が見ても栗駒山だと分かるような自然があることがうらやましい」と言われ、私が見て育ってきた栗原の景観の素晴らしさを、再認識することができました。  大学生の時、栗原を一度離れました。卒業後、ごく普通に地元に戻って就職し、十数年勤めた後に店を構えました。そんな私が感じるのは、「何も無いところだから、何もできないというのは違う」ということ。自分の中に柱があれば、工夫しながら今の環境で挑戦できると思います。私の柱は、私を育んできた栗原の物や国産の物を使うということ、そして、「食」を通じて栗原の良さを伝えることです。  絵を描くことや料理をし続けることは、表現方法は違いますが、私にとって、自己や栗原を表現していることに変わりありません。ここ栗原に暮らす上で、あったらいいと思うものは、人により違うため切りがありません。ならば、必要な時に、必要なものがある場所に私たちが行けば良いと思います。 栗原を見つめて  情報技術の発展により、私たちは、たくさんの情報を知ることができるようになりました。それぞれの町の状態や様子もすぐ知ることができます。しかし、発展し続ける情報技術でも、知ることができないものがあります。それは、人間が心で感じる、美や安らぎ、人の情です。それらは、日々の暮らしの中に埋もれがちになっているのかもしれません。例えば、美しいものを見て美しいと感じる心や、変化が感じられないほどゆったりと過ぎる時間が、せわしなく生きる私たちに、この地が与えてくれた息抜きの時間であるということ。ともすれば、お節介に感じてしまうかもしれない近所付き合いは、この地に暮らす温かい人柄の表れであると言うことです。  栗原には、栗原を気に掛けてくれる人が居ます。温かく古里栗原を見守る人も居ます。何より栗原で暮らす私たちが居ます。次の時代につなげるため、今一番に必要なもの、それは、人と人とのつながりと、一人一人の気付きなのかもしれません。 写真 1 命の大切さを語りつぐ小野寺さんご夫妻 2 第2の人生を豊かに生きる仲間たち 3 栗原の天空に輝く満天の星 4 春の訪れを告げる菜の花 5 栗原に冬を知らせる北からの使者 6 満開の桜と残雪を抱く栗駒山 7 田植えを待つ逆さ栗駒山 8 神の絨毯(じゅうたん)と言われる栗駒山の紅葉 9 料理教室の講師を務める髙橋さん 10 和やかな雰囲気で来客の話しを丁寧に聞く髙橋さん 11 髙橋さんの手から作り出された数々のパン 12 ニッコウキスゲが風にそよぐ世界谷地原生花園