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copyright© 2005 栗原市
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![]() 栗原市の観光産業づくりの指導をいただいていた麦屋弥生さんが、2008年6月14日(土曜日)、駒の湯温泉に宿泊中「岩手・宮城内陸地震」で発生した土石流に巻き込まれ不慮の死を遂げられました。麦屋さんの早すぎる逝去を悼み、心から哀悼の意を表します。
麦屋さんは2008年6月13日(金曜日)にくりはら田園鉄道の保存・活用を検討する委員会に出席、翌日の14日(土曜日)に資源調査をするため宿泊していた最中のことでした。 麦屋さんには、2006年(平成18年)10月から栗原市の新しい観光産業づくり「くりはら田園観光都市創造事業」の指導を受けていました。2008年(平成20年)3月までの調査研究をまとめた報告書を麦屋さんの監修で作成し、2008年度(平成20年度)からは資源調査を継続しながら、資源の生かし方や仕組みづくりを麦屋さんの指導で進める矢先の悲劇でした。 |
![]() 麦屋さんが提言する観光は「地域の資源に光をあて、地域の人々が元気になる」こと。栗原市を愛してくれた麦屋さんの考え方をしっかりと心に刻み、市民の皆さんと共に、今後も新しい観光産業づくりを進めていきたいと考えています。
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![]() 宮口とし廸教授と麦屋弥生さん ※2008年2月8日(金曜日)に東京で開催した「くりはら輝かせ隊交流会in東京」で撮影した写真 |
![]() 麦屋さんと初めてゆっくりお話した場所は、1999年の夏、北海道の鹿追町だった。当時の国土庁の地方振興アドバイザーとして、地元のファームイン研究会を中心に地域の観光を考えることが課題で、若井康彦さんと3人で出かけた。その後何箇所かにご一緒する機会があり、彼女の仕事の中でも声をかけていただいた。金沢に拠点を移されてからは富山・石川でお会いすることも増えた。
もともと地方を訪れた時に、土地の人と夜遅くまで飲んで持論を納得してもらうのが常である私は、延々と飲みながら、可愛くさわやかで、かつズバリという指摘を行う麦屋さんから、本当に多くのことを学んだ。地域における私のアドバイスが少しでも進歩しているとすれば、それは麦屋さんのおかげである。 まち歩きの中で地域のスグレモノに気づく麦屋さんの感性はすごいものであった。それは手仕事に対する彼女の敬意の発露であり、そしてその価値に気づくだけではなく、その価値を誰かに伝えたいという本能に裏打ちされたものであったと思う。よき教師は語り伝えるために学び、その価値を語り伝えられる人を育てたく思う。そして何よりもその人の成長が嬉しい。麦屋さんはそういう人であった。国交省の地域づくりインターン生たちも、麦屋さんから大きな感化を受けたに違いない。この間、くりはら研究所の面々もかなり成長してくれたと思う。 |
![]() 『くりはら研究所だより』には、帽子を深めにかぶった洒落た出で立ちの、調査中の麦屋さんの後姿の写真がいくつか載っており、その姿は、栗原の多くの人たちの胸に刻まれているはずである。また、麦屋さんは多くの人を栗原に案内し、私を含めて栗原に特別の思いを抱く多くの人を遺してくださった。人と人のつながりと支え合いこそが、地方の力の源泉と信ずる。
市長始め市民そして職員の皆さん、麦屋さんはいつもあなた方のそばにいて力を貸してくれるはずです。希望を! |