地下茎の暗闇から/大澤 榮(第10回白鳥省吾賞 一般の部 最優秀賞受賞者)

 イッショウの内にヒトは、予想外の跳躍をする場面もあるが、予想外に不慮の事故や考えも及ばない風が吹いて、地下茎の暗闇に潜り込んでしまうことも稀ではない。
 統合失調症の当事者が話す幻聴という状態像があるが、よく聴いていると「暗闇の中に独りで閉じ込められて、もがいて何処かに掴まり浮上しようと苦闘するのであるが、その声は外界に届かず、言葉が用を成さない世界に入ってしまったことに気づく」というストーリーに出会うことになる。この物語に出会う度にわたしは、これは幻聴ではないと言い続けている。なぜか、それは幻聴という現実であるのだし、そのヒトの生活史をよくよく辿ってみるとそれに似た心的外傷と思える出来事を通過してきているからである。これはこの病気に限られたことではなくて、われわれの日常性の中には幻なのか現実なのか識別不能な事態というものが犇めいていて、自らが冷酷無惨な仕打ちをしていることにさえ気づかず、先を急いで駆けずり回っているのがこのヒトの世の常套句といっても間違いではなかろう。
 白鳥省吾は確かに民衆派の代表格の詩人であったし、火達磨のようになり、ヒトの生業の中に入り込み、その位置から噴火し続けた活火山であったのだが、彼の業績の真骨頂は、民衆の暗闇にランプの光を届け続けたことにあることを忘れてはならないと思うものである。第10回の授賞式前夜、北海道には大雪が舞い降りて交通網を寸断し、難渋させられたのだが、省吾は当日恵庭まで迎えに来てくれたのだと今でも信じている。「暗闇に光を」少なくとも受賞した者の責務はこの一点に隠されている事を忘れてはならないだろう。